指導が自主性を奪う?(2/2)【この違和感は私だけ?18】

 

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木村泰子さん

木村泰子さんは関西弁です。でも、うまく書けなかったので、標準語に書いてあります。

連載があります。

提言|木村泰子 「困っている子が困らなくなる学校」をつくる 【発達障害8.8%をどう受け止めるか #3】

先生たちも「自分で考える」ってことができていなかった

先生がいつも答えを容易していたから。
間違えなければ、誰にも指摘されない。だから、何もしない。新しいことに挑戦しない。学校では、どんどん与えられているから、それでもなんとかなるかもしれないけれど、大人になって苦しい理由がそれだって思うようになりました。

先生が言うことが正しいから、先生が仲介に入ってきたら先生の判断次第で、どっちが悪いとか決まってしまう。もやもやする気持ちを抱えたまま、本当の解決策がわからないまま、なんとなく謝らせられて、終わってしまう。

そうすると、大人になっても、まだ、ケンカになると、どれだけ相手が悪いかをだれかに聞いてもらって、判断を仰ごうとしてしまうそうです。

本当は、当事者同士の問題なのに。

「自分が何をしたいかわからない」

怒られたり、馬鹿にされたりするから、余計なことはしない方が賢いというふうな空気が蔓延している気がします。

我慢した結果、「自分が何をしたいかわからない」とか「自分がよくわからない」という大人になってしまったのかな、と感じます。

子どもたちの発想は、とっても素晴らしい。感情も素晴らしい。大切にしたいと強く思う。
自分の好きとか、苦手とかをよく知ることが仕事だけでなく、人間関係にも大切なんだなと最近よく思います。

ちょっと話がそれましたが、
「自分で考えて、自分でできるとうれしい」それを大切に支援する教育に変わったら、
学ぶことがとっても楽しくなるし、自信がつくし、他の人の個性がそれぞれが素晴らしいと思えるんじゃないかな。

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